2009年8月4日火曜日
自然を想う慈しみの芸術とは
こないだ、自然って、人間って自然なのとか、話したでしょ?
実は星空を眺めて美しいと思ったりするけど、これは宇宙の一部であって、これはほんとに、自然の姿そのものっていうことは、地球も宇宙の一部、太陽も宇宙の一部、そういう中で太陽に育まれながら地球上の生き物は生きている。
だからこれも全部自然、そういう中で、簡単に言えば、小さな虫が歩いても、これも自然の一部であって、ほんとに可愛らしいと思う。
実際に人間の赤ちゃんも動物の赤ちゃんも生まれたてというには、一切汚れがないから、本当に慈しみがわいてくる、大きくなると憎らしくなんのかね?
と思うけど、そういう憎らしくなるのは人間の死化界がそうさせたものであって、実際には、みんな美しい、慈しみを持った愛おしいものだ。
人を殺した人でもほんとは、慈しむべきじゃないかなって思うんでよね。
何か間違って、自分を殺しちゃったり、自殺したりする人が多いけど、それはやっぱり間違いで、やっぱり、ようく、ようく、見れば、ほんとうに可愛いらしい動物、可愛らしい生き物が、地球上にはいっぱい満載して居るんじゃないかと思うよ。それぞれに対して可愛くないってものは何もない。
私はゴキブリまでも可愛いということですね。
人間が言いたいことと言うことは自己実現、あるいは自己表現というけれど、そういうものというのは、程度の差が出てくるね、深か~く、考えた多人と簡単に考えた人との違いが出てくるね。ところが深く考えた人でも極端に深くいったと思いきや、まだまだ先があるかも知れない。そういうことを考えると芸術という仕事の中でも、やっぱり、浅い深いがあるだろうけど、でもやっぱり言ってみれば、人間って何だろうと、そういう疑問を持って、生活をして来る中で自分の生活環境が蓄積されて、しかもその中で自分の考え方が思索の程度が決まって来るし、そういうのが必ず深い“真実の芸術”“美術”“美しさ”に繋がって来るんじゃないの。
慈しみの芸術っていうのは、そういう、見ただけでまず愛情感じることだね!
見ていて、楽しくなるね!そういうものじゃないかね。
人のことを言うとちょっとまずいかなと思うけど、たとえば戦争絵画を描いている人たち、戦争はこうだということは、とっくに解っているそんな恐ろしい絵よりもむしろ、美しい気持ちがもっと気楽になれるような、そういうもののほうが、ほんとうは生き物的あるような気がする、人間的なものであるような気がする。
平泉会会長 保坂良平
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